自分のことは、自分が一番わかっている。
そう思っていた。
でも実際に記録を取り始めてみたら、想像と全然違う自分がそこにいた。
思い込んでいた「自分像」
私は自分のことを「朝型人間」だと思い込んでいた。
早起きできた日は調子がいい。だから自分は朝型なんだ、と。
でも実際に1ヶ月記録を取ってみたら、早起きできた日は月にたった4日だけ。しかも調子がいいと感じた日は、起床時間とほとんど関係なかった。
調子の良し悪しを左右していたのは、睡眠時間の長さだった。
朝型かどうかではなく、単純に7時間以上寝た日は調子がいい。何時に起きても。
記録がなければ、ずっと「早起きできない自分はダメだ」と思い続けていたと思う。
記憶は信用できない
人間の記憶は、思った以上にあてにならない。
印象的な出来事ばかり覚えていて、日常の小さなことは忘れる。そして都合よく「自分はこういう人間だ」というストーリーを作ってしまう。
記録は、そのバイアスを外してくれる。
「先週は忙しくて全然運動できなかった」と思っていても、実際に見返すと週2回はできていた、なんてこともある。
逆もまた然り。
「今月は調子良かった」と思っていたら、実は前半は結構しんどかった、とか。
見えてきたパターン
記録を続けていると、自分のパターンが見えてくる。
私の場合はこんな感じだった:
- 水曜日になると調子が落ちやすい(週の真ん中で疲れが出る)
- 雨の日は気分が下がる
- 人と会った翌日は疲れやすい
どれも言われてみれば「まあそうかも」という程度。でも記録を見るまで、はっきり認識できていなかった。
パターンがわかると、対策も打てる。
水曜は無理しない。雨の日は自分に優しくする。人と会った翌日は予定を詰めない。
記録は、自分の取扱説明書を作る作業なのかもしれない。
完璧に記録しなくていい
こう書くと「毎日きっちり記録しなきゃ」と思うかもしれない。
でもそんなことはない。
私の記録も、抜けている日はたくさんある。それでもパターンは見えてくる。完璧なデータなんて必要ない。
なんとなくの傾向がわかれば、それでいい。
記録は義務じゃない。自分を知るための道具。
使いたいときに使えばいい。
まとめ
自分のことを知っているつもりでも、案外わかっていないことは多い。
記録は、その「つもり」と「実際」のギャップを見せてくれる。
別に大発見がなくてもいい。「へえ、自分ってこうなんだ」と思える瞬間があれば、それだけで記録の価値はある。
この記事をシェア