机の上のポトス。葉っぱがちょっと垂れている。
「あ、しばらく水あげてなかったな」
慌ててコップで水をやる。次の日には、また元気に上を向いている。植物って正直だ。
でも、その「あげてなかった」がいつからなのか、自分はよく覚えていない。
水やりは、たまに思い出してやるもの
観葉植物の水やりって、毎日やるものじゃない。
土が乾いてきたら、少し。やりすぎると根が傷むから、忘れたくらいでちょうどいいこともある。気が向いたとき、ふと目に入ったときに、コップ一杯。
記録も、これにそっくりだと思う。
毎日きっちり書く必要なんてない。土が乾いたら水をやるみたいに、気づいたときに一行だけ残す。それで十分育つ。
やりすぎると、かえって枯れる
植物に水をやりすぎると、根腐れする。これは観葉植物を一度でも枯らしたことがある人なら、身に覚えがあると思う。
良かれと思って、毎日たっぷり。土はいつも湿っている。なのに、葉はどんどん黄色くなっていく。
記録もそうで。
「毎日ぜんぶ書くぞ」と気合を入れた日記ほど、三日でやめてしまう。書くこと自体が義務になって、義務はだいたい嫌になる。乾く前に水をやり続けるようなもので、続けようとした熱意が、続かない原因になる。
だから、乾いてからでいい。「今日はなにか書きたいな」と思った日だけ書く。それくらいゆるいほうが、根は腐らない。
水は、根から吸い上げられて葉に届く
水やりのおもしろいところは、効果がすぐには見えないこと。
水をやった瞬間に葉が緑になるわけじゃない。土から根が吸って、茎を通って、何日かかけて葉先まで届く。垂れていた葉が、気づいたら持ち上がっている。
記録の効き目も、これと同じで遅れてやってくる。
書いた一行は、その日はなんの役にも立たない。ただのメモだ。でも何ヶ月か経って見返したとき、はじめて意味を持つ。
- 「前は週1で水やってたけど、夏は3日に1回だったんだ」
- 「この鉢、窓際に移したら新芽が増えてる」
過去の自分が残した水滴が、ずいぶん経ってから葉先に届く。そういう感覚がある。
枯らした記録も、肥料になる
植物を枯らすと、けっこう落ち込む。
でも枯れた理由を一行残しておくと、それが次の鉢の肥料になる。「冬に水をやりすぎた」「直射日光で葉焼けした」。失敗は、書いておけば繰り返さない。
うまくいったことだけ書く必要はない。むしろ、しおれた日の記録のほうが、あとで役に立ったりする。
だから、コップ一杯ぶんだけ
身構えなくていいと思う。
新しい葉が出ていたら「新芽」とだけ。葉が垂れていたら「水やり」とだけ。元気そうなら「元気」だけでもいい。植物に水をやるのと同じで、ほんの少し、気づいたときに。
選択式や数字でサクッと残せる趣味記録アプリ「コンセキ」なら、水やりの有無や葉の状態をタップだけで、だいたい10秒。文章を書く負担がないぶん、コップ一杯ぶんの記録としてはちょうどいい。
そうやって少しずつ溜めた記録が、根から吸い上げられて、いつか自分の葉先に届く。
水をやり忘れても、植物はそうそう枯れない。記録も、書き忘れた日があっていい。乾いたら、また一杯あげればいいだけだから。
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