「また3日で終わった」
新しいこと始めるたびに、なぜか決まってそこで止まる。水彩画を始めたけど3日。ランニングを始めたけど3日。ギターを触り始めたけど……3日。
「自分って本当にだめだ」
そう思ってきた人に、ちょっと待ってほしい。
実は、3日で飽きるのは脳の正常な反応
新しいことを始めると、最初の数日は新鮮さで動ける。でも脳はすぐ「これ、生存に必要?」と判断を下す。
必要じゃないと判断されたら、モチベーションの燃料が切れる。それだけの話。
意志の強さとは関係ない。むしろ脳が正直に働いている証拠。「飽きる」は欠陥じゃなくて、脳のフィルタリング機能。本当に危険なのは、飽きても「続けなきゃ」と無理して嫌いになることの方。
「飽きる」の先にある選択肢
趣味が3日で飽きたとき、普通は「また失敗した」で終わる。
でも実際に何が起きているかというと、3日間やってみて情報が集まった状態。「この趣味、自分に合う感じがしなかった」という大事な発見をした状態。
これは失敗じゃない。試した結果。
3日で飽きたなら、それはその趣味との相性が良くなかった可能性が高い。あるいは、入り口の選び方が合わなかっただけかもしれない。どちらにせよ、試さないよりずっといい。
飽きを「終わり」にしない方法
じゃあどうすればいいか。考え方をひとつ変えるだけでいい。
「3日で飽きた」を「3日やってみた」と言い換える。
これは言葉遊びに見えるかもしれないけど、実際には記録のあるなしで大きく変わってくる。
「3日でやめた」だと記憶に残るのは挫折感だけ。「3日やってみた」という記録があると、何を試したか、どう感じたか、が残る。
半年後に同じ趣味に興味を持ったとき、以前の記録があれば「前回はどこで止まったっけ」「あの部分が楽しかった」と思い出せる。記録がなければゼロから再スタートするしかない。
「続ける」より「戻ってくる」でいい
三日坊主という言葉、実は構造がおかしい。
3日続けて、一度止まって、また戻ってくれば、合計6日やったことになる。それをゼロとカウントするのはなぜ?
趣味は「連続した日数」で評価するものじゃない。人生のどこかで何度も触れる、そういうものでいい。
水彩画を3日やって飽きて、半年後にまた3日やって、また飽きて。それを繰り返すうちに、気づいたら「なんか続いてる」になる人もいる。
飽きたら終わりじゃない。飽きたときに記録を残しておけば、戻るときの入口になる。
「また3日で終わった」と感じたとき。それは失敗の証拠じゃなくて、試した証拠。
コンセキで記録しておくと、次に戻ってきたとき「前回こうだったな」とすぐ思い出せる。飽きても、また始められる。
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